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混じり気のない気高き青であれ

合理化された近代文明の讃美者

オルドー自由主義

僕は思うのです。

果たして、凡才と天才の差とは何か。
それらを比較的に、対象的に比べることは本当に公正でかつ万人が満足得るほどの答えはあるのか。

普遍性を持った考えによれば、‘‘あるにはある’’ということが共通な認識としてされているかと思いますが、両者を比較する基準というのは非常に定義も何も曖昧なもので、それこそ論争の火種になるほどアプローチのし難いものであり、誰しもが自らを‘‘凡才’’(他にも様々な才があるが例えば「秀才」)‘‘天才’’…といったような才覚、才能という言葉を用いて物事の尺度を図ろうとする傾向にあることは確かである。と僕は誇大な主観によって断言していますが。笑


しばしば、‘‘天才’’と世間から認められる(揶揄される)人物はみな総じて‘‘これらはすべて努力の賜物によるものだ’’といったような、今までの人生において少なからず、積み上げてきたものこそが‘‘天才’’へと変貌を遂げるものになると発言したりする様子が見て取れるかと思います。

この世界は残酷なことに、生まれ持った環境によって全てが左右されてしまうほどに‘‘運(luck)’’が重要視されてしまうものです。


因果律には決して逃れることができないのかもしれません。


色々、思考している内に様々な考えが渦巻き、整理すればするほど理解できないものになっていくので(ここまで風呂敷を広げといて)、もう少し僕が哲学徒のように哲学をすることができれば解決することができるかもしれない…




結論
ー広義な凡才を探すのではなく、狭義な天才を見つけることこそが遥かに有意義である




終わり



おまけ
オルドーOrdo(秩序)を表すラテン語です。←これは経済思想史から拾ってきた、ドイツのフライブルク学派と呼ばれる経済学者が打ち立てた思想らしい…。経済学専攻している人はすぐに感づきそうな題名になりました。